弁済訴訟と更生計画

TFK株式会社(旧:株式会社武富士)の会社更生手続は、2017年3月17日をもって終結した。それに伴い、コールセンター業務も終了した。


武富士のテレビCM動画(歴代)

出演者 動画
内田有紀
(ゆき)

2008年

2009年

佐藤寛子
(ひろこ)

2005年

2007年
長山洋子

1999年

2001年
細川直美

1996年

1998年

元ピンクレディーのMIE(ミー)

1996年ごろ
武富士ダンサーズ

1991年

2003年




■■■ ニュース記事 ■■■

武富士のオンラインオンライン化

【199年7月】「アイリスATM」を全国6都市に導入

武富士(8564)は199年3月から、人の瞳のアイリス(虹彩)で本人照合・確認する新機種「アイリスATM」の実用試行を行った。当初の目的をすべて満たす好結果が得られた。このため7月に全国主要6都市(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡)の支店に配置。それらをオンラインで結ぶ第二段階の実用試行を始めた。株オンライン

アイリスとは、瞳の瞳孔を取り巻く筋肉の部分を指す。2歳を過ぎると固定化して、基本的に人種・性別・年齢にかかわらず同一の物はなくなる。一卵双生児でも異なる。しかも、コンタクトレンズやサングラスを除く眼鏡を使用していても照合確認ができる。誤認識率は百億分の一。指紋以上の高い精度を持つ。

「アイリスATM」導入の利便性には以下の点が上げられる。

  1. カードなしでも入出金が可能
  2. 偽造・変造等の不正カードの使用防止
  3. カードの他人使用の防止
「アイリスATM」はハード部分は沖電気工業が担当した。ソフト部分は武富士がアドバイスして完成させた。

【2011年11月】武富士の更生計画が決定。アプロとTFKに分割

会社更生手続き中の武富士は2011年10月31日、東京地方裁判所から更生計画の認可決定を受けました。 これに基づき、2011年12月にも韓国の消費者金融大手「A&Pファイナンシャル」が事業承継する「アプロ」と、資産売却・債務清算を行う「TFK」に会社分割することになりました。

更生計画案は2011年7月15日に東京地方裁判所に提出。 書面投票により、債権者の賛同も受けました。消費者金融事業を承継する会社の名称は「アプロ」に変更。A&P側は「武富士」ブランドを引き続き使いながら事業の再建を図ります。

TFKは、債権者への弁済を2011年12月中旬に開始予定。資産の売却や訴訟などにより弁済原資を確保しつつ、認可決定から1年の期限内に債権者への弁済を完了する予定です。

【2012年4月】TFK管財人が過払い金の法人税還付を求め国を提訴

会社更生手続き中のTFK(旧武富士)の管財人である小畑英一弁護士は2012年4月、国に対し約2374億円の法人税還付を求め東京地裁に提訴しました。 借り手が払いすぎた利息(過払い金)に基づき支払った法人税分は無効として、国に返還を求め、債権者への弁済原資に充てます。

武富士は過去に、利息制限法の上限を超える「グレーゾーン金利」で貸し付け、多額の利益を計上。2006年の最高裁判決でグレーゾーン金利部分が無効と判断され、利息の返還請求が相次ぎ、経営破綻しました。

【2012年3月】Jトラスト、武富士の事業を買収

Jトラストは2012年3月1日、会社更生手続き中の武富士の消費者金融事業を会社分割により取得したと発表しました。 Jトラストの連結子会社で商工ローン大手のロプロが、2012年3月2日付で取得対価の約252億円を支払い、事業を継承しました。

武富士本体は社名をTFKと改め、今回の事業売却収入などを原資に債権者への弁済に当たります。 弁済率は、当初の計画通り3.3%を維持する見通しです。

武富士の再建をめぐっては、スポンサーに決まっていた韓国企業が資金不足などで撤退するなど混乱しましたが、2011年末にJトラストが新スポンサーに選定されていました。 ロプロでは継承した武富士の顧客基盤を生かし、信用保証業務などを強化していく方針です。 武富士側からは、約300人の社員がロプロへ移籍する見通しです。

【2013年9月】武富士管財人と創業者の和解成立

会社更生手続き中の武富士(TFK)が破綻前に不当な株主配当をしたとして、管財人が株主の創業家3人などに約129億円の返還を求めた訴訟は2013年9月11日、2審・東京高裁(滝沢泉裁判長)で和解が成立しました。 管財人によると、創業家側が解決金として17億5000万円を支払うことになりました。

訴訟で、管財人は「原資のない違法な配当だ」と主張しました。しかし、2013年3月の東京地裁判決は「会計処理に問題はない」として請求を棄却しました。管財人が控訴していました。

【2016年3月】武富士による対メルリンチ訴訟で、武富士側が逆転敗訴(最高裁)

武富士(TFK)は、金融取引で巨額の損失を受けたとして、メリルリンチ日本証券に約290億円の損害賠償を求める裁判を起こしていました。 この訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は2016年3月15日、武富士側の請求を棄却しました。 2審・東京高裁判決はメリルリンチ側に約145億円の支払いを命じていましたが、これを破棄しました。 武富士側の逆転敗訴が確定しました。

リーマンショックで損失

判決によると、武富士は2007年、メリルリンチの提案した金融商品で300億円の運用を始めました。 しかし、2008年の「リーマン・ショック」で債券価格が急落し、2008年に約297億円の損失を出しました。 第三小法廷は「国際的に金融事業を行ってきた武富士にとって、理解が難しかったとはいえない」と述べ、メリルリンチ側の説明義務違反はなかったと結論づけました。

東京高裁の控訴審では武富士が勝っていた

控訴審では、東京高裁が2014年8月27日、請求を棄却した1審判決を取り消し、メリルリンチ日本証券側に約145億円の賠償を命じる判決を言い渡しました。 難波孝一裁判長は「ハイリスクな取引にもかかわらず、メリルリンチの担当者は説明を尽くさなかった」と指摘しました。

一審の東京地裁は武富士敗訴

2013年7月の1審・東京地裁判決は、「武富士側もリスクを検討して取引したはずだ」として請求を退けていました。

【2012年4月】武富士のATMが消えた

2012年3月、武富士の消費者金融事業をロプロが引き継ぎました。それ以降、武富士の無人店舗のATMが使えなくなりました。 キャッシング利用者(借り手)は、武富士のATMからお金を返済できなくなりました。

以前は、武富士が指定する口座への銀行振り込みでも返していました。 自分の口座と同じ銀行同士の振り込みだったので、手数料がかからなかったのです。

ロプロが指定してきたのは別の銀行の口座でした。 振り込むと、数百円の手数料がかかるようになりました。 景気が悪い中、苦労して返済金を工面している借り手にとって、返済のために毎回余分にお金がかかるのは心外でした。

ロプロによると、事業を引き継いだ際、店舗は旧武富士(現・更生会社TFK)に残したままとなりました。その結果、旧武富士が所有する全ての無人契約機やATMコーナーが使えなくなったそうです。 提携先のATMは無料で利用ができ、多くのコンビニATMで返済が可能とのことです。

【2010年9月】武富士が倒産、負債4300億円

更生法申請

武富士は2010年9月、会社更生法の適用を東京地裁に申請することを決めました。 払い過ぎた利息の返還を求める借り手側からの過払い金請求が重荷となり、貸金業規制の強化で収益低迷が続いていることから、自力再建を断念しました。

大手の消費者金融で初めて

消費者金融会社が生まれた1960年代以降、大手の経営破綻(はたん)は初めてでした。

負債4300億円

東京商工リサーチによると、負債総額は約4300億円でした。 まだ請求されていない過払い金などを含めると負債額は大幅に拡大する見込みです。法的整理により、過払い利息の返還額をカット、裁判所の管理下で支援先を探し、早期の再生を目指すことになりました。

従業員数は2030人

武富士の2010年6月末時点の店舗数は545店(うち有人140店)でした。従業員数は2030人でした。

利息の返還額カット

利息の返還額は、武富士の財務内容に応じて、社債や銀行からの借入金などと同率で削減される見通しです。 利息の返還額のカットを迫られる顧客から批判が出る可能性もあります。

過払い請求が重荷

武富士は、2002年3月末には営業貸付金残高が1兆7666億円に上るなど業界トップでした。 しかし、2006年1月、最高裁が「利息制限法の上限を超える金利(グレーゾーン金利)は無効」との判断を示しました。それをきっかけに、過払い金の返還請求が殺到し経営が悪化しました。

業界1位から4位に転落

2009年末からは事実上、新規の融資を停止しました。2010年3月末時点の貸付金残高は5894億円まで縮小し、業界4位に転落していました。

銀行から支援を得られず

格付け会社が武富士の財務格付けを相次いで引き下げたため、武富士は銀行などから融資を受けるのが難しくなりました。保有する不動産などの資産を売却して運転資金を確保する綱渡りの経営が続いていました。 武富士は大手銀行の傘下などに入らない独立路線を維持したため、再建を支援する主要取引銀行もなかったです。

総量規制

2010年6月には改正貸金業法が完全施行され、融資を顧客の年収の3分の1に制限する総量規制がスタートしました。 相次ぐ規制強化によって、武富士以外の消費者金融も厳しい状況に陥りました。

商工ファンド、ロプロ(旧:日栄)が破綻

商工ローン大手のSFCG(旧商工ファンド)やロプロ(旧:日栄、現:日本保証)が相次いで経営破綻(はたん)しました。 消費者金融大手のアイフルも私的整理に当たる「事業再生ADR」の手続きで再建を目指すことになりました。

武富士は2003年、創業者で当時会長だった故武井保雄氏が、武富士に批判的な記事を書いたジャーナリストらの電話を盗聴した事件で逮捕(2004年に有罪確定)されて社会的な信用を失い、貸し出しが伸び悩みました。

利用者の返済条件に変更はない

更生法の適用を申請しても、利息制限法の上限金利以内で貸し付けを受けた利用者の返済条件に変更はないです。

株売買を一時停止

東京証券取引所は2010年9月27日、武富士株の売買を一時停止しました。 自力再建を断念し、会社更生法の適用を東京地裁に近く申請する方針を固めた、との報道の真偽を確認するためでした。

【2002年8月】消費者金融ニッシンNY上場、初値は13.8ドル

消費者金融のニッシン(嵜岡邦彦社長、後のNISグループ)は、イメージアップと株式の流動性を狙い、2002年8月2日付でニューヨーク証券取引所に上場しました。 消費者金融業界では、武富士が2000年3月にロンドン証券取引所に上場していました。ニューヨークは初めてでした。

純利益48億

米国内での株式流通はAmerican Depository Receipt (ADR)の形態でした。 ニューヨーク初値は13.8ドルでした。

ニッシンは日本国内では1999年9月に東京証券取引所と大阪証券取引所の第1部に上場しました。 2002年3月期決算は営業利益96億1300万円、経常利益92億5600万円、当期純利益48億1700万円でした。

【2004年2月】武井保雄は世界62位の資産家だった

米誌フォーブスは2004年2月、2004年版世界長者番付を発表しました。 世界経済の回復を反映し、資産10億ドル以上の富豪は過去最高の587人に達し、総資産も1兆9000億ドルと3年ぶりに前年を上回りました。 第1位は米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長(48)の466億ドル(約5兆1074億円)で、10年連続のトップとなりました。

2位は著名な個人投資家ウォーレン・バフェット氏(73)で、上位10人のうち8人までを米国人が独占しました。 世界的なベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの英国の女性作家J・K・ローリングさん(当時38歳)が10億ドルで富豪に仲間入りしました。

日本勢では、佐治信忠サントリー社長(当時58歳)の55位(一族を含む、69億ドル)を最高に2003年より3人多い22人がランク入り。 消費者金融大手「武富士」による盗聴事件で逮捕された武富士前会長の武井保雄被告(当時74歳)が62位(一族を含む、62億ドル)に入りました。

創業者・武井保雄の人物像

1966年、36歳の時、武富士の前身である富士商事を東京都板橋区に設立しました。 武井は午前10時になると、団地を見上げて、洗濯物をチェックしました。 この時間に洗濯物を干さないような主婦にはカネを貸しにくい、というわけです。 それも、下着が外から見えるように干していたら、「ずぼらな性格」と見ます。

武井は「団地金融」なる商売を始めていました。 団地に住むサラリーマン家庭の主婦は、給料日前に生活費が足りなくなることがあります。 そこに目をつけました。

担保を取らず、ヒトを信用してカネを貸す――。 極めてシンプルな商売ですが、それだけに人物を見る目が試されます。 小さな金額を繰り返し貸し付けながら、カネ貸しの経験を積みました。

チェックポイントは洗濯物だけではありません。 ポストを覗いて、郵便物がたまっているようでは信用できません。 わざとトイレを借りて、きれいに清掃されているか確かめます。 時には管理人室に出向き、家賃の台帳を見ます。 毎月の支払日が一定でない場合は要注意です。

「団地金融の時代に作られた貸し付け基準は、実によくできていた」。 1975年入社の元社員は、こう振り返ります。 この社員はその後独立して消費者金融会社を設立しました。 だが、今でも武富士時代のノウハウは色褪せていないといいます。

「いい女には貸せ。そういう鉄則があった。返せなくなっても、必ず代だい返へん(代わりに返済すること)する男が現れる。女を囲いたいからね」

そう話す元社員は、当時の消費者金融の実態をにおわす鉄則も教えてくれました。

「自分より強そうなヤツには貸すな」

延滞客から、力ずくで取り返す…。そんな状況を想定したものでしょう。

業界草創期の荒々しさは、その後、社会問題に発展してしまいます。

急成長した武富士が、アコムを抜き去って業界トップに躍り出たのが1980年のことです。 その頃から、急成長の歪みを露呈していきます。 「サラ金地獄」と呼ばれる騒動です。 1980年代に入り、自己破産者が急増すると、マスコミは一斉に「過酷な取り立て」と「儲けすぎ」を非難しました。 そして最大手の武富士は、批判の矢面に立たされることになります。

軍隊式の人事・教育

銀行が消費者金融会社への融資を引き揚げ始めると、業界は音を立てて崩れていきました。 中小業者を中心に業者数が激減します。そして、大手各社も崖っぷちに立たされました。

「この危機が、もともと厳しかった社員教育を、さらに徹底していく契機になった」(武富士元幹部)

その象徴が、1983年に完成した自宅兼研修所の「真正館しんせいかん」です。 東京都杉並区高井戸西の1400坪の土地に、30億円強の巨費を投じて建設されました。 地下にはプールも備えています。

研修では全国から社員が集まり、武井と同じ屋根の下で暮らします。 午後5時半からは武井の講演もあります。 そして、夜はカラオケ大会が催されます。 ちなみに、武井の十八番は村田英雄の「花と竜」です。

研修は決してお遊びではないです。 特に新入社員研修は学生気分の抜けきらない若手に、手厳しい洗礼を浴びせます。

「手始めに、1日中、挨拶とお辞儀の練習をさせる。体に染み込ませるわけだ」(武富士元教育担当者)

「お客さんだから、挨拶しよう」と頭で考えているようでは、どこかでボロが出るといいます。 そこで人に会ったら挨拶する癖をたたき込みます。 だから、武富士の本社でエレベーターに乗ると、社員が必ず挨拶してきます。 職場に入ると、全員が立ち上がって「いらっしゃいませ」と頭を下げます。 上司が戻ってきた場合も、職場は総立ちで迎えます。

その上司にも、厳しい慣例がありまる。

「ボーナスをもらったら、支店長以上の幹部社員は武井会長に電話や手紙でお礼の言葉を伝える。これを忘れると降格される」(武富士元幹部)

入社後も、接客の基本を繰り返し体に染み込ませます。

街頭で見かけるティッシュ配布。 実はすべて社員が配っています。その数、年間3億個。 本社勤務の社員も例外ではないです。 道行く人に、大きな声を出して挨拶します。

服装規定も厳格に決められています。 茶髪やサングラスなどはもってのほか。 髪の毛は耳にかかってはいけないです。 ワイシャツは白の無地が原則です。 女性の指輪も禁止されています。

「100引く1は99ではなくてゼロ、と教えている。1人でも規則違反者がいると、全員の努力が無になってしまうということ」(武富士元教育担当者)

「武富士は軍隊」(準大手消費者金融社長)。 そう揶揄されるが、武井は一向に気にする様子はないです。

「挨拶できない人もいます。やっぱりそういう人は限界があるんですね」

そう言う武井は、軍隊さながらの連帯責任を人事制度に取り入れます。

支店長の給料は、支店の業績に連動します。 また、業績の悪い支店は夜遅くまで残業を強いられます。 一方で、好調な支店は「スーパーモデル店」と称し、早々に仕事を切り上げさせます。

人事も大胆です。 入社1~2年という社歴の浅い若手が、次々と支店長職に就いています。 20歳前後の支店長は珍しくないです。 女性の登用も進め、既に女性支店長が100人を超えています。

降格も容赦ないです。 役職者がヒラ社員になるなど当たり前です。 役員、社長も例外ではないです。

従って、退職する社員が後を絶たず、その逸話は数限りないです。

「昼食に出ていったきり、帰ってこない社員がいた」「秘書室に異動が決まった瞬間、怯えて退社していった」

ある武富士元幹部は、こう打ち明けます。 「社員数は変化がないように見えるが、大ざっぱに言うと1年に1000人が入社して、1000人が辞めていく」。 社員数は約4000人だから、4年で全社員が入れ替わる計算になります。 この強烈な新陳代謝を繰り返すことで、最強軍団が形成されていきます。

ここで1つ、疑問が生まれます。 なぜ、武富士は大量の社員が入れ替わりながらも、業務が回っていくのか。 実は、入社直後の社員でもすぐにフル回転で働ける仕掛けを施しているのです。

「失敗は成功のもと、はウソ」

武富士の店頭にあります、一見すると何の変哲もないパソコン。 しかし、よく見るとキーボードの配列が変わっていることに気づきます。 キーが「あいうえお順」に並んでいます。 パソコンに疎い人が入社しても、すぐに使えるようにメーカーに特注で作らせました。

書類作成には「イロエ」という不文律があります。 誰でも分かりやすいように、色と絵を使って文書を作れ、という意味だといいます。 それも、できるだけ用紙1枚にまとめます。 文章は「小学生でも分かる」が基本です。

支店でも効率的な仕事を支える仕掛けがあります。 例えばこんな具合です。 返済が1日遅れる顧客は多いです。 そこで、1日延滞客に督促の電話をかける場合、必ず「林」という姓を名乗ります。 すると、顧客から「林さん、いますか」と折り返しの電話があっても、受話器を取った人がそのまま応対できます。 それも「はい、私が林です」と社員が電話口で言った瞬間、隣の社員が1日延滞者の情報ファイルを持っていきます。 ただ、「武富士は林という社員が異常に多い」という噂が立ち、現在は自粛しているといいます。

こうした取り組みによって、武富士は高い収益率を誇っています。 業界2位のアコムと比較すると分かりやすいです。 平均年齢はアコムの33.4歳に対し、武富士は5歳も若い28.7歳です。 それでも、1人当たりの営業収益は武富士がアコムより13%ほど多い8641万円を上げています。 ほかの指標でも、すべて武富士が上回ります。

高い収益性と効率性を誇りながら、成長を続ける武富士。 巨額の利益を上げているというのに、武井は冒険的な経営には走りません。 大手4社の過去を振り返ると、武富士の戦略はいつも後手に回っていることが分かります。

1993年、アコムが業界に先駆けて自動契約機「むじんくん」を新設しました。 後を追うように大手が自動契約機を投入していく中で、武井はじっと戦況を見つめていました。 そして、遅れること2年、1995年になって「これは効果がある」と判断し、「¥enむすび」を設置しました。 その後、武富士は一気呵成に自動契約機を展開して、前期末には総数1851台となり、アコムを抜き去りました。

カード戦略、銀行との提携…。 どれを取っても、武富士は他社の動きをじっと見ながら、出るタイミングをうかがいます。決して先手を打つことはないです。

「武富士の戦略は、百獣の王方式」

クレジット会社幹部はこう表現します。 ハイエナが獲物を捕らえたことを確認してから、ゆっくりと登場して、独り占めするというわけです。

その根底には、母から教わった商人道があります。

「失敗は成功のもとと言うけれど、そんなことはない。失敗すれば、それで終わり」

1つの失敗も許さない――。 だから、武井は周囲がいくら決断を促しても、首を縦に振りません。 「みんなが同じことを言う時ほど、危ないんですね」。 そして考え抜くことになります。 相談相手は、頭の中の部長たちです。 そして自信と確信をつかむまで、いつまでも議論は続きます。

独裁者の孤独とでも言おうか。 だから武井は運勢占いに頼ります。 「運勢は統計学」とも言います。 それは、多くの経営者が経営判断に使う過去のデータと同じく、ある種の「精神安定剤」の役割を果たしているに違いないです。

そんな武井は、業界の先行きに強い危機感を抱いています。 「かつてないほど、難しい局面だと思います。ここで下手にもがくと、とんでもないことになりかねません」。 絶好調に見える武富士と消費者金融業界。 だが、危機はすぐそこまで来ています。ビジネスモデルを極めてしまったが故の代償…。

フィリピンの大統領との逸話

武富士の創業者・武井保雄の娘婿の著書に、こんなエピソードが記されています。 旧友のフィデル・ラモスがフィリピン大統領に就任した時のこと。 就任式に呼ばれた武井は、その晩、ラモスと会談する予定でした。 ところが、ラモス側が急遽、日程を翌日に変更してほしいと要請してきました。 だが、武井は「明日は忙しい」と言下に断り、帰国したというのです。 ラモスは慌てて詫び状を送ることになります。 その極意を娘婿はこう解説します。

「相手を自分の土俵に引きずり込み、自分の都合でビジネスを展開する」

武井保雄はかつてこう語っていました。「みなさんは夜、寝ているんですね。私は寝ていません。2時間ぐらいの仮眠はありますけど、それは寝ていることにはならないんです。今朝も5時まで部長を集めて会議をやっている。集めると言ったって、頭の中の部長を集めるわけ。これは嘘じゃない。自分で葛藤するんです」

【2004年5月】武富士社長に元久存氏(松井証券専務)が就任

清川昭社長は退任

消費者金融大手の武富士は2004年5月14日、清川昭社長(当時62歳)が退任し、後任にインターネット証券(株オンライン)大手、松井証券専務の元久存(もとひさ・めぐむ)氏(当時42歳)が就任する人事を内定したと発表しました。 盗聴事件で顧客の信頼が大きく揺らいだ武富士は、社外から「若い証券マン」を招き入れる異例のトップ交代によってイメージ回復を急ぐとともに、法令順守を徹底して企業統治の確立を目指します。 ただ、業績は厳しさを増しており、経営の抜本的な立て直しは容易ではなさそうです。(有宗良治

2004年株主総会後の取締役会で正式決定

元久氏の社長就任は、2004年6月29日の株主総会後の取締役会で正式決定します。

オンライン証券会社での実績

元久氏は5月14日の記者会見で「可能性が大きい消費者金融で仕事ができるのは好機だ」と述べ、株オンライン取引会社での実績を生かせると強調しました。 元久氏は、松井道夫氏の部下として働いてきました。

武井氏親族が保有する約66%の株式

元久氏がまず取り組まなければならないのは、経営体制の改革だ。武井前会長ら親族が保有する約66%の武富士の株式放出を促し、同族経営色を薄めることです。 社外取締役も積極的に登用し、経営に透明性を確保しなければならないです。

同時に、本業の回復も急務です。 だが、元久氏は消費者金融ビジネスの経験はなく、その手腕はあくまで未知数です。

山一証券、住友海上出身

元久存氏(もとひさ・めぐむ)1986年東京大学文卒、山一証券入社。1998年住友海上火災保険(現・三井住友海上)入社。1999年松井証券入社、2001年1月から専務。山口県出身。